廣島スタイロ

階調グレー

akiko photography中野 章子フォトグラファーNo. 28

誰でも写真が撮れる時代だ。友達を撮る。青空を撮る。草花を撮る。誰もが思い立てばスマホを取り出し、ちょっと凝った人ならそれをアプリで加工し、SNSにアップする。今の時代、すべての人に平等に写真は撮れる、ハズ、な、の、ダ、ガ……ほんの稀に、その人にしか撮れない写真を撮れる人がいる。このホームページ「廣島スタイロ」の全写真を撮影する中野章子もそのひとり。シャッターを押す。一瞬を切り取る。一体彼女は何を撮っているのか? 中野章子の写真には一体何が写り込んでいるのか?

私の写真っておばあちゃんが作るおむすびなんですよ

初めて写真を撮って感動したときのことは憶えてます。

私の父はカメラメーカーに勤めてたんですけど、私が10歳のとき、家にあったコンパクトカメラを好きに使っていいよって譲ってくれたんです。それは24枚撮りのフィルムカメラで、私は嬉しくて狭い町の中を歩き回って1枚1枚大切に撮影してたんです。そしたらあるときすごい雪が降って。私はカメラを持ったままフェンスをくぐって、近所のゴルフ場に忍び込んで。顔を上げたら、あたり一面の雪景色が目に飛び込んできたんです! それはまさに「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」みたいな景色だったんですけど、その風景があまりにきれいで、気が付いたら夢中でシャッターを切ってたんです。

それは真っ白になったグリーンの上に灰色の曇り空があって、今もなお大玉のサラサラの雪が降ってるという光景で。ゴルフ場だから端の方には杉の木が生えてて、そこに積もった雪の暗いところだけがシルエットになって浮かび上がってる、まさにグレートーンの世界だったんです。そのときは、誰も足を踏み入れてない場所を自分だけが知っているっていう興奮もあったけど、それより強く感じたのは、目の前にある“美しさ”に対して自分がアプローチできる手段を持っているという興奮。それでとにかく一気に写真を撮り続けたんです。

でもその後現像した写真を見て私はガッカリしてしまって。だってその写真にはあの雪景色を目にしたときに感じた感動や興奮が写ってなかったから。プロになった今も、そのとき感じたうまく写真に定着できてないモヤモヤ感の解消を続けてる気がします。ただ、そのときの写真をアルバムにまとめておじいちゃんに見せたら、すごく感動してくれて。「フィルム買ってやるから写真家になれ!」って褒められたことはとてもよく憶えてます(笑)。

その後、私は絵画と写真の両方を追いかけていくんです。高校卒業後に買ったカメラで写真を撮って、それを元に静物画を描くってことを続けていて。壊れた車から草が出てる風景などを絵に描いて、賞をもらったこともありました。ただ、そのときは絵のウェイトが高くて、あくまで写真は絵を描く題材を写す手段でしかなくて。楽しいから続けているという状態だったんです。

そこから自分は絵の才能がないと思ってあきらめて、ウェブデザインの仕事に就いて。そのときサイトで紹介する商品の撮影のためにまたカメラを持つんですけど、好きなことが仕事になるのって楽しいな、写真でお金をもらえるのって嬉しいなって思うようになるんです。それでも自分がプロの写真家で食べていけるなんて思ってなくて。それが写真でお金を稼げるようになったのは、ウェブデザインの仕事をやめてこれからどうしようか悩んでいるとき、友達から家族写真を頼まれて無料で撮ってて。そしたらその友達や友達の友達から「うちも撮って」「私のところもお願いしたい」ってどんどん依頼が来るようになったんです。そういう状況を見てると「私の能力でお金になるものって写真くらいしかないんじゃないかな?」って思うようになって。だったら本腰を入れて開業しようと肚をくくったんです。

だけど最初はコネもツテもないから大変でしたよ。それでも家族写真のときと同じで、いろんな人の紹介でだんだん仕事がもらえるようになって。私、自分から「これを撮りたい」って営業したり、「こういう方向でやっていきたい」ってアピールしたことはないんです。そもそも「こういう写真が撮りたい」っていうのも明確にないし。どの仕事も誰かが「章子ちゃんならこういうのも撮れるんじゃない?」ってオファーしてくれて、「そう言ってくれるのなら私にできるのかも」って思いながら精一杯やらせてもらってるだけ。だからカープの選手を撮ったり女優さんを撮ったりっていう今の状況は本当に驚きの連続で。いろんな人に私の能力を開拓してもらいながら今があるって感覚なんです。

そういう状態なので、自分の写真の特徴が何かって聞かれてもよくわからないんですよ。自分の色に寄せて撮影するというより、私自身が被写体や媒体のトーンに寄せて撮影している感覚だから。

ただ、「この人、この景色の今が一番美しい」という電波をキャッチするアンテナは持ってると思います。私、思うんですけど、私の写真っておばあちゃんが作るおむすびなんですよ。おむすびって白米を塩で握るだけで作り方は誰でも同じなのに、人によって味が違うじゃないですか。怒りながら握ると固くなるし、相手においしく食べてほしいと思って握るとおいしくなる。写真もおにぎりと一緒で、シャッターを押せば誰でも撮れるけど、何かの加減が仕上がりに出るんです。だから写真は愛情。いかに被写体に対し自分の人生を忘れるくらい向き合えるか、その瞬間だけは被写体のことを私が一番愛していると思えるか――そういう気持ちが写真には出ると思いますからね。

私自身の基本となるイロ……やっぱりグレートーンになるのかな。雪景色って白がきれいというふうに思われがちだけど、白を美しく見せてるのは影の存在なんです。黒から白までの階調が白を際立たせてるんです。あのゴルフ場の雪景色を美しいと感じたのも、たぶん直感的に光と闇が一体となってることの美しさを捉えられたからであって。それはポートレートを撮るときも同様で、私はその人の一番明るい部分と一番暗い部分を瞬時に見るんですけど、そのコントラストに美しさがあるように思うんです。そう、それはデッサンも同じで。私は一番暗いところからデッサンをはじめるけど、絵もどこまで暗くするかが大事というか。その人の暗さをキャッチするからこそ、その人の明るさが立体的に捉えられるような気がするんです。

だから私の基本にあるのはいつもグレースケール。その階調がどうなってるか、自分のグレーが今どこにあるのかによって、私の写真は変わっていくし、齢をとることでもその階調は変わっていきますからね。でも真っ白から真っ黒まで、端から端までの色を経験したいとは思います。

そんな自分の基調となるトーンを取り戻すために、いつも行く場所があるんです。自分の気持ちをゼロに戻すための場所。それは最初に話した「ゴルフクラブ」の駐車場で、そこは安佐南区の山奥 にあるのに、緑井を通って宇品を通って瀬戸内海まで見渡すことができるんです。高台から広島の街を見下ろして海まで見えるんです。そこは私が心の基準点を取り戻す場所で、泣くときもその駐車場でひとりで泣くし、昂りすぎてるときもひとりで夜に行ったりします。そこは子供の頃から何かあるたびに友達の輪を抜けて足を運んでて、春になると桜が咲いて、たんぽぽも咲いて、秋には枯葉、冬には枯れ木……。そこに行けば悲しみも俯瞰できるし、広島の街がすぽっと見えるから「私の今いるところはこんなに小さいんだなぁ」っていう哀愁を感じたり、「でもそんな中に私の好きな人たちがいて、みんな泣いたり笑ったりしてるんだなぁ」って感じたりして――。

また、その場所に行ってみようかな。今の気持ちを確かめるため、いつもの場所に行ってみようかな。

取材後記

ということで、中野章子は“念写”する。念や情、愛や讃、憧憬や慕情、悔恨や衝動といったあらゆる感情をプリントする。ちなみにこれは余談だが、中野に撮ってもらった者は仕上がりが素晴らしいことはもちろん、「また撮ってほしい!」と彼女のトリコになる人が多い(特に男)。それは本文中にあるように、「その瞬間だけは被写体のことを私が一番愛していると思えるか」という彼女のパッションが、「え、この子、オレのこと好きなのかも!? 初対面なのにこの距離感って!」というドキドキを生み、疑似恋愛みたいな状況を発生させてしまうからである。罪な女だぜ、アキコフォトグラフィ。

Profile 中野 章子 広島市安佐南区生まれ。幼い頃から絵を描くことが好きで、ひたすらデッサンに没頭する。短期大学の美術科・洋画コースを卒業した後、出版社勤務を経て、2013年「akiko photography」を設立。フリーランスのフォトグラファーとして活動をはじめ、広島カープの選手を撮影した『“勝ちグセ。アートフォト”写真集「25233951」』『“勝ちグセ。アートフォト2018”写真集「Stay Gold」』(広島ホームテレビ)、女優・川栄李奈に密着した『川栄李奈 酒都・西条へ。』(ザメディアジョン)など書籍、広告、映画スチールなど多岐に渡って活躍する。個展も積極的に開催。当ホームページ「廣島スタイロ」ではポートレート撮影を含むすべての写真を担当している。