廣島スタイロ

白地に黒

Bob art work西村 真基グラフィックデザイナーNo. 26

その絵を初めて見たときの驚きを何と言えばいいのだろう。一見それは普通にうまい落書きのように見える。マルコムX、マリリン・モンロー、北野武……そんなポップアイコンをたまたま持っていたボールペンでさらさら描いただけのように見える。しかし作品をズームすると驚愕する。絵は“1本の線”によって描かれている。いわゆる一筆描きの手法で、ぐるぐる、ぐりぐり、ペンを走らせ最後まで描き切ってしまったのがこの絵の正体だったのだ。どこにでもあるボールペンで生み出す、どこにも存在しないストリートアート。その作者がこの男、Bob。屈託がペンを走らせ、純白を塗り潰した。呉の闇夜が見事に映える、偏執狂のポートレートだ。

なんかあんまり大きな夢を見るのが好きじゃなかったんです

僕がこんなところに出てもいいんですか? これドッキリかなんかですか? だって「誰が得するん?」、みたいな。これまで誰にも注目されずにきたんで。声かけてもらって嬉しいすけどね。

絵を描くのは幼稚園の頃から好きでした。水木しげるがめちゃ好きで。まだ水木生きてるのに、鬼太郎の続きを描くのは自分だと思ってましたから(笑)。

それが中学校くらいで絵を描いてるのはダサイなって思うようになって。当時は『クローズ』みたいなヤンキーマンガ全盛期で、マンガ家になるのが夢だったんです。でも思春期にマンガ描いてるのってオタッキーじゃないですか? あと、図工とか美術の成績も全然よくなくて。自分では絵が好きで、絵が上手いと思って生きてきたけど、学校の先生には評価されず。親しかほめてくれなかったですね。

高校で呉を出て広島市内の学校に通うようになるんですけど、そこでカルチャーを知るんです。グラフィティや音楽に触れて、興味の対象もマンガからデザインの方に変わっていって。その頃、幼なじみがハイスタ(Hi-STANDARD)みたいなメロコア系のバンドをはじめて、そいつらがインディーズでCD出すっていうんで18のとき初めてジャケットを作ったのがデビュー作。それでバンドの人たちと仲良くなって、専門学校の頃もフライヤーやジャケット作ったりバンドTデザインしたり、学生しながら仕事してましたね。

専門卒業して……普通だったら商業デザインというか、広告会社やデザイン会社に入るんでしょうけど、僕はチラシを作ることに興味がなくて。昼間は普通に働きながら、夜に好きな音楽系のデザインをする道を選びました。やってたのは鳶とか工場の派遣とかプールの監視員とか、実家がやってた日用品の卸売りの手伝いとか。

20代の頃はそんな感じでしたね。なんかあんまり大きな夢を見るのが好きじゃなかったんです。当時漠然と思ってたのは、好きなことだけやっていけたらいいなというか、Tシャツとかのデザインだけで食っていけたらいいなっていうか、それくらい。その頃はそんなに絵は描いてなかったです。28からデザイン会社で働くようになるんですけど仕事はデザイン中心で、絵は挿絵程度でしたね。

それがどうして絵を描くようになるのか?

あんま面白い話じゃないすけど、前の彼女がインスタグラマーだったんです。ファッションとかライフスタイルを上げてて。で、「あんたもがんばりんさいよ」みたいな調子で勝手にアカウント作られたんです。別に絵を描くためじゃなく。ただ、そのときちょうどデザイン会社をやめた直後で、ふとこのアカウントにイラストを上げてみようかなって思ったんです。1日1枚。なんか……これまで目標とか持たず生きてきたんすよ。ずっと中途半端だった。だからせめて一回は頑張ってみよう、これに賭けてみようと思って、2018年からいろんなタッチで1年続けたけど別に何にもならず……。

今の作風に行き着いたのは1年前くらい。そこに至るまで自分的には流れがあって。最初は普通に描いてたんですけど、オリジナリティないなって思って一筆描きを試すようになり、その延長線上でボールペンの“ぐるぐる”の濃淡でデッサンするという今の手法に辿り着きました。

このやり方を見つけたときは「おっ!」と思いましたよ。絵を描く人ってみんな世界観があるけど、僕にはそれがなくて、ずっと「これBobじゃね?」ってわかってもらえるタッチを探してたんです。僕はデザインの仕事もやってたんで、グラフィックデザイン的な目線で見てもこのタッチは面白いと思えたし、なにより完成したとき自分でも「これ好きだな」と思えたんです。

この絵を描くとき使うのはユニボールワンの0.38mmと0.5mm。色は黒のみです。一筆描きだから動画ありきでやったら面白いと思って、この前、志村けんやマイケル・ジョーダンを描いてるところをYouTubeにアップしました。あの絵は1枚描くのに40~50分かかってますけど、実はあれには下描きがあって。一回別の紙に描いて目や鼻の位置を決めて、その上で“ぐるぐる”の一筆描きで仕上げるんです。その話をするとなーんだってガッカリされることもあるけど、嘘は付きたくないし、だったら「じゃあ描いてみろよ!」って思いますね。

原風景は……呉の実家の周辺かもしれないです。高校生のとき、通ってた小学校の近くの陸橋で初めて生でグラフィティを見て。すぐナフコでスプレー缶買って、友達と川原石の桟橋で落書きしたんです。本当はスプレーの先にキャップを付けなきゃいけないのに、それすら知らなくてアフロのラッパーとか描いたりして。いま考えると超絶ダサいけど、「こんな感じじゃろ?」って。あのクレイトンベイホテルの見える狭い海のまわりが、僕の原風景だと思います。

色は基本的に黒のボールペンしか使わないんで黒なんですけど、黒単体というより“白地に黒”というか。常に絵を描くときは白の紙と黒のペン、その2色セットが自分らしいかなって思うんです。

あ、Bobって名前ですか? めちゃくちゃしょうもないっすよ。ミクシィやってたときスキンヘッドにしてて、海で泳いでる姿がボブ・サップに似てるってコメント欄が盛り上がって。そのへんからBobって呼ばれるようになったんです。それでインスタのアカウントも「Bobby Bob’s Club」にして。今度新しくアパレルのブランドをはじめるんですけど、それも「Bobby Bob’s Club」にしようと思ってます。

確かに“ぐるぐる”のタッチをやりはじたことで、以前よりフォロワー数は増えました。これからの夢……えー、わからないです。本当はこれだけ描いて生きていけたら一番いいと思うんです。1日1枚とか。他にこれがしたいとかは、別に……ん~~~~~。

リッチになりたいとかも最近は消えて、それより今はラクに生きていく方がいいような気がしてます。ちょっと前までは「これがないと生きていけん」と思ってフリーの仕事にしがみついてて、それがコロナの前に全部なくなったけど、それでも今はなんとか生きていけてて。「これがないと生きていけん」って思ってたものがなくなったとき、こんなに晴れ晴れとした気持ちになれるんなら、お金より今の方が人間として生きてる気がするなって、そう思うんです。

あー、でもやっぱりブレイクしたいですね! そう思わないのは期待してできないのが怖いだけかも。めちゃくちゃ言い訳がましいだけなのかも――。

取材後記

廣島スタイロの取材ということで「みんなキラキラしてるのに、僕、全然キラキラしてないですよ」と事あるごとに口にしていたBob a.k.a. MASAKICK。ちなみに“ぐるぐるポートレート”の発展版として、顔が三重に描かれるシリーズもあるが、これについては「もっと強いオリジナリティはないかと思って。似顔絵そのままだと模写でしかないし、アーティストって変人な方が多いから聞かれたら『僕にはこう見えてます』と言おうと思って」と答える常識人。個人的にその屈託と不遜のチャーミングな混交がものすごく知り合いに似ていたりする。あと取材時、足の骨が折れて引きずって歩いてるのに海に行くという話をしていて、それはどうかと思うぞ。

Profile 西村 真基 Bob a.k.a. MASAKICK。1981年、呉市生まれ。広島工業大学高等学校から穴吹デザイン専門学校グラフィックデザイン学科へ進学。卒業後は肉体労働などしながら知り合いのミュージシャンのフライヤー、CDジャケット、Tシャツのデザインを手掛ける。「LOCO DESIGN SERVICE」を経てフリーランスとして独立。2018年よりインスタグラム上で「Bobby Bob’s Club」というアカウントでイラストレーション作品の発表をはじめる。昨年スタートした、ボールペンの一筆書きで似顔絵を描くタッチが高い評価を受ける。現在「Bobby Bob’s Club」名義でアパレルブランドの展開を準備中。