廣島スタイロ

今は作れない歴史

株式会社ローカルズオンリー / 台湾料理 斑比 / 特定非営利活動法人 SYL下野 隆司代表取締役 / ホール係 / 理事長(親方)No. 24

「海軍」や「仁義なき戦い」という独特のワードと歴史で飾られた呉という街は、瀬戸内海が運ぶほのかに香る潮風と、昭和を色濃く残す街並みが程良く哀愁を誘う。そんな街並みの中にある中通二丁目という通りが新しい光を灯し始めている。レンガ通りまで続く、歩行者の為に広く幅の取られた抜け感の心地よいこの通りの一角に、ひと際目を引く白鯨を思わすような大きな木造の建物がある。ネイビーのタイルがシンボリックなセレクトショップ「CITYLIGHTS」と、異国情緒漂う、何処か懐かしく、それでいて新しい、そんな出で立ちの台湾料理屋「斑比(ばんび)」が軒を連ねている。この建物を所有しているのが下野隆司さん。彼は今、洋服屋のオーナーから、まちづくりのNPO法人の理事長、そして台湾料理屋のホール係までを縦横無尽にこなしている。そんな一風変わった経歴を持つ下野さんが地元である呉という街にどのように魅せられてきたのか。そして洋服屋のオーナーでありながら何故まちづくりに関わるようになったのか?

子供達が「帰ってきたい」と思える、自分が惹かれた原風景を追い求めて

僕の好きな色――青や、ネイビーです。

ネイビーが持っているクラシックなイメージが好きだという事もあるのですが、呉で営んでいるセレクトショップ「CITYLIGHTS」の外壁に使われているネイビーのタイルは、1962年に坂倉準三さんという日本を代表する建築家が手がけた「旧呉市庁舎/市民会館」など公共施設の外壁に使用されていたタイルなんです。

「旧呉市庁舎/市民会館」は、先行して平成24年頃に市民会館が解体され、平成27年末に新庁舎が完成し、その後、旧庁舎は解体されました。

当時、街の記憶の継承というテーマで広大や呉高専の生徒とリノベーションのプロジェクトを企画し、タイルを自分たちの手で剥がして、呉の中通二丁目にある自分のお店「CITYLIGHTS」に貼りました。一つ一つ手焼きされた色むらのあるタイルは今では再現できない歴史のある色ですし、自分達の手で施工したので、大変でしたがとても思い入れのあるネイビーのタイル(色)になっています。

そして、僕の原風景は間違いなく呉の中通二丁目。

呉に住む若者は遊ぶ場所を求め、週末になると広島に遊びに出ていますが、僕が高校生の頃は、呉の中通二丁目には洋服屋も多く、ストリートカルチャーにも今にはない軸がたくさんあって、賑わっていたんです。

わざわざ広島から足を運んで呉に遊びに来る人もたくさんいて。自分達にとって、この街でお洒落をして遊ぶというのがステータスで、誇りを持って遊んでいて、いつの間にかファッションにのめり込むようになっていきました。

高校卒業後は、洋服屋をやりたい気持ちが強く、広島のセレクトショップに就職。その後、ポロラルフローレンに転職し、働く中で、ブランドの方向性の一つでもあるアメリカに行ってみたいと思うようになったんです。その頃は古着が流行っていたので、古着に関わる仕事なら買い付けでアメリカに行けるかもしれないと思って。安直ですが「古着=アメ村だ!」と勢いでラルフローレンを退社し、「僕はバイヤー志望でアメリカに行きたいんです!」と大阪のアメ村にある古着屋の会社に入りました。

ただ一年経っても一向に連れて行ってもらえる気配がなくて。そんな時に、広島で一番有名な古着屋がバイヤーを探しているという情報を知り、バイヤーとしてアメリカに行けるチャンスを逃したくない気持ちで、広島に戻って来ました。

そこでは入社して2週間程でアメリカへの買い付けに同行させて貰えたんです。ある日、社長から「買い付けに行く経費が無駄だからお前向こうに住んどけ。車と家と地図はあるから日本で売れるものを買い付けて送ってこい」と言われて。まだ英語も喋れなかったんですが、唐突にロサンゼルスでの海外生活がスタート。夢が叶いました(笑)。

三年間、アメリカでバイヤーをしながら生活をしていたのですが、ロサンゼルス支局を閉めるというタイミングで日本に戻りました。三年も海外に住むと、もはや日本人でもないしアメリカ人でもないんですよ(笑)。

朝起きてサーフィンして、昼から仕事して、夜会社に報告して寝る、という自由なライフスタイルを送っていたので。日本の会社に戻って来ても、社会に適応できず、不協和音を生みかねないという理由でクビになってしまいました(笑)。

それが28歳。元々夢だった洋服屋さんとして独立しようと思いました。10年間地元から離れ、色んな街で仕事をしたので、独立して店を出す選択肢としては他の都市もあったのですが、自分の原風景となる文化があった街の景色をまた取り戻したいという想いがあったので、この中通二丁目にお店を出すことに決めました。

「ローカルズオンリー(よそ者お断り)」という店名は呉の市民性を皮肉った名前なんです。そもそも海軍も駐屯していてよそ者で構成されているような街なのに、よそ者を受け付けない、内輪に籠りがちな市民性があって。そこに対しての反面教師として付けたんです。 6坪半の小さなお店でしたが、ネット販売なども駆使し、まぁまぁ売れるようになり、ちょっと夢見ようかなと思ったタイミングで高校の同級生のジンくん(村上 仁)と再会して。そこで「何か一緒に面白いことせん?」という話になったんです。それを機に、広島市の段原に「CITYLIGHTS」というセレクトショップをオープンしました。

「CITYLIGHTS」では、がむしゃらに色んな事をやりました。洋服を売ることもイベントも、やりたいネタは全て吐き出せたのではないかと思います。その頃は、ただ単純に洋服を売るだけではなく、「おすすめのご飯屋さんや、遊び方、そして、時間の過ごし方」という「コト」をお客さんに伝えることによって洋服を楽しむことに繋がればいいと考えていました。

その一環で「あさまち」という朝の過ごし方を提案するマルシェイベントを段原でやっていたのですが、ある時、呉の知り合いから「あさまち」を「呉の街中でもやってみない?」という話が持ち上がって試しにやってみたんです。結果は大成功で、呉の街で普段見かけないような若い人たちが沢山集まってくれて。地元の普段は見られない光景に自分も凄く熱狂したし、本質的には「自分たちが楽しみたい」で始めたイベントが、回を重ねていくと、街の人に「ありがとう」と言われるようになり、街に還元されていたことが凄く嬉しかったんです。ただ街の衰退に歯止めをかけられているという実感はなく、人からの感謝とは別に、イベントを通じて、街が良くなっているなということを体感したくて。そこで「あさまち」をやっていく中で今後も一緒に何かをやっていきたいなという仲間達と、まちづくりに関する「NPO法人 SYL」を発足しました。

平成30年に豪雨災害があって。それは自分にとっても会社にとっても契機となる出来事でした。お店のある中通二丁目エリアは被害が少ないほうだったのですが、当然人通りはなく、商売が出来る状況ではありませんでした。周りの飲食店さんも同じ境遇に立たされていて。そこで時間はあるのだから、自分たちができる復興の後押しをしようということで、その当時集まれる店舗さんで売上全額募金の「勃興夜市」という夜市を開催したんです。沢山の参加してくださった店舗さんお客さんのおかげでイベントは盛況。多額の寄付金と支援物資を募ることが出来ました。その時に、発案から10日間という短い準備期間で、市を巻き込み、皆で一致団結して取り組めた事で、まちづくりをしていて良かったなと実感したんです。

また、豪雨災害の際に、中通で営んでるお店のある建物を取り壊し、駐車場にするという話が持ち上がったんです。僕は元々、「古いものを活用して新しい世界を作っていく」リノベーションという手法に興味があったのと、「時間や歴史的価値だけはお金に変えられない。従来のスクラップアンドビルドという手法ではまちづくりの為にならない」という考えがあったので、今の店舗があるこの建物を買い取り、段原のお店を閉めて全店を集約したお店をリノベーションして作りました。

この建物自体が元は6店舗の集合店舗で、そのうちの二店舗に段原のCITYLIGHTSを移築したんです。丁度その時に呉市の観光振興課から、姉妹都市提携を結んでいる台北のキールンという街へ「お産品PRイベントをやりませんか?」という公募があって。そこでただ産品PRをしに行くだけではなく、今後も台湾との交流が持てるような物語を作った方が面白いと思い、日本で働きたい人を募るオーディションも一緒に開催したんです。そこで採用されたのが台湾料理の料理人のゲーリー君で。元々この建屋にあった台湾料理屋の名前を継承して、新しく台湾料理「斑比(ばんび)」を2019年5月にオープンしました。

世界はもっと広くて、自分達が知らない美味しいものや体験はまだ沢山あると思うんですが、「何か一つでもいいので呉に住んでいる人が誇れる街にしたい」という想いで、今、様々な事業をしています。僕は学生時代に過ごしたこの街が楽しかったという原体験がルーツとなってここで事業をやっています。今の子供たちにも「いつかはこの街に戻ってきたいな」と思わせるような原風景や原体験を作りたいんです。それにこの街が楽しくならないと本業の洋服も売れないですしね(笑)。

取材後記

今年は取材させてもらった下野さんにご縁を頂いて、呉に滞在して仕事をする機会が多かったんです。それまで広島市出身の自分にとって呉という街は近くて遠い存在で、それこそ誰もが知っているような表層的な情報でしか知らない街でした。けれど今回、滞在中に下野さんに繋いで頂いた人や店を知る度、どんどんこの街にハマっていく感覚があったんです。これは住んでみて初めて肌感覚で教わる魅力なのかもしれません。それは今の世間一般の人達の価値基準の一つとなっている「映え」とは対極に位置する、ローカルならではの色濃い文化や、人の温かさ、居心地の良さなんです。山や海が生活圏内にあって季節の移ろいを感じ取りやすく、「向こう三軒両隣」という古き良き時代にあった人との距離がまだ残っていて。文字にすると当たり前のことのように感じられますが、どれも現代の都市部には欠落していることだと思います。下野さんの会社の社名でもある。ローカルズオンリー(よそ者お断り)とは、下野さんは呉の市民性の反面教師として付けた名前だと仰ってましたが、視点を変えればローカルズオンリーという言葉は呉人の呉に対する独特な愛情表現であって、それはとても素敵な地元贔屓なのだなと思いました。実際にはよそ者の自分も邪険に扱われる事もなく、オススメの店を尋ねるとみんなが自分の言葉でオススメを紹介してくれて。その度にディープな歴史的背景を持つこの街の面白い店や、人との出会いがあり。この街でアパレルと飲食業、そしてNPO法人ではまちづくりもされている下野さんですが、その原動力には「自分達が楽しみたい。そして、それがこの街の人の笑顔、子供達の未来に繋がればいい」というシンプルな想いがあって。その立場上、色んな人に、やいのやいの言われて。たまに汗かき、面倒臭そうにしながらも、「やると言ったらやる」という態度を以って、街の課題にひとつひとつ取り組む姿勢が印象的でした。

Profile 下野 隆司 広島県呉市生まれ。呉市在住。高校生の時にファッションに憧れを抱き、大学入学するもすぐに中退しアパレル業界に飛び込む。広島、大阪、ロサンゼルスで10年間の下積みの後、2007年にセレクトショップ「Locals only」(呉市中通)を創業。2013年にセレクトショップ「CITYLIGHTS」(広島市南区段原)を開業し、セレクトショップの枠を越え、イベント事業や制服デザインなど、多角的な事業展開を始める。平成30年広島豪雨災害を機に地元で根を張り、呉市の復興、発展に寄与することを目的に、本社のある築70年の物件を購入し、事業所を集約。フルリノベーションを経て、2019年に飲食店「台湾料理 斑比」を開業。サービスマン、プロデューサー、ディレクターとして常に現場に立ち続けている。2017年には、一度地元を離れ、県外、海外からあらためて地元を見つめ直した経験を生かし、未来の呉市のために自分たちができることを加速化していきたい想いから、まちづくりの事業を行うNPO法人SYLを設立。周辺経済の活性化、公共空間の利活用提案を目的に、大型マルシェイベント「あさまち」や「勃興夜市」などイベントやPR事業を主宰。