廣島スタイロ

変化する緑

sower flower/plants小林 龍之介フローリストNo. 22

どうしてこれほど違って見えるのだろう。花も緑も同じはずなのに、上幟町にある花屋「sower flower/plants」の花々は通常より艶やかで、華やかで、その緑はいきいきと、みずみずしく感じられる。まるで純粋な讃美の音楽が鳴り響いているように。天上から祝福の歌が聞こえてくるように。そこには“讃花”と言っていい全幅の敬意が感じられる。sowerとは“種をまく人”の意。遠くから広島に流れ着いた“種”である小林龍之介さんは、なぜ歓喜の種を植える人になったのか?

花屋だけど花がない日があっていい

竜王公園から己斐上の大迫団地に抜ける道の途中、広島の街を一望できる場所があるんです。そこは川も見えて山も見えて街も見えて海も見えて。田舎な感じと都会な感じがミックスしてるというか、僕的にはすごく“広島”って感じがする場所なんです。

そこは東京から戻ってきて、花屋を開くため派遣で働いてたときの通り道だったんです。己斐峠を越えたところにある工場に行くんだけど、とにかく仕事がきつくてきつくて。その行き帰りに車を停めて、風景を見て一息ついてたんです。

そのときは……きっと不安だったんでしょうね。これから店を出そうとしてるけどどうなるかわからなくて、ひとまずイヤな仕事をしながらお金を貯めてて。だけど見える景色はキレイでね。夜勤後の朝方だったり夜勤前の夕方だったり、その風景を見ると「あー、広島に帰ってきたんだな」って思うんです。僕、もともと広島が故郷の人間じゃないんですよ。それなのに東京にいるときから「いつか広島に戻って来るぞ!」って思ってて、本当に戻ってきて、さてこれから……っていう。

僕は昔から転々とした暮らしをしてたんです。大阪で生まれて鹿児島、鳥取……早く親元から離れたくて、鳥取の人間はみんな大阪に行くから、じゃあ俺は広島だって。ただ、別に何がしたいっていうのもなく。最初は飲食やってたけどそれも長続きせず、22~3の頃、花屋でもやってみるかと思って流川の「森川花園」に入ったんです。花なんて全然興味なかったけど、花とかやってたらモテるかなって。そんな感じですよ。

でもそこで大きな出会いがあったんです。もう亡くなっちゃったんだけど、森川花園の副社長だったもりかわみゆきさん。もりかわさんはフラワーデザイナーとして有名で、毎年8月6日にナイフを武器ではなく、平和を紡ぐための花を生ける道具として用いる「国境の無い花たち展」を紙屋町シャレオ中央広場でやられてた人。もりかわさんからは、広島は原爆を落とされた街であり、花は死者が棺桶に入れて唯一天国まで持っていけるもの――といった“生きることと死ぬことと植物”みたいな話を聞かせてもらったんです。それで「植物って面白いな。ちゃんとやってみたい」って思うようになって。そこからノートに花の名前や値段を書いて勉強するようになるんです。それまではバラとトルコ桔梗の区別すら付かなかったのに。

もっと花の勉強がしたくて、26歳のとき青山の有名店に修行に行きました。森川花園で3年働いてたから多少はできるだろうと思って行ったら、そこで自信を粉々に砕かれて。もう泣くぐらいボロボロ。そこは花に対するスタッフの意識が全然違ったんです。みんな向上心がすごくて、配達時でも信号待ちの少しの間に伝票を見て花の生産者や仕入れ値を頭に叩き込むとかそういうレベル。甘い気持ちで本気になりきれていない僕は精神的にも肉体的にもボロボロになって、何度もやめようと思いながらも仲間に励まされて思いとどまるっていう、そんな日々を送ってました。

このままでいいのかと悩みながらガムシャラに働くけど答えの出ない日々。でもそんな状態が続いて4年目くらいかな、「自分の目指すものはみんなとは違う」と言える自分がいたんです。もちろん仕事で高みを目指すのは素晴らしいけど、生きる事ことや死ぬことを考えたとき、別に「仕事=人生」じゃなくてもいいのではないか。仕事はお金を稼ぐ手段と割り切って、仕事とプライベートを両立させる生き方だっていいのではないか――そう思うようになったんです。

一流の人って人生をすべて仕事に捧げるじゃないですか。僕のまわりはそういう人ばかりで、そこまで本気になれない自分に僕はずっと劣等感を感じていたんです。だけど、あるときから「自分は自分のできる範囲で、自分のペースを守りながらまわりの人を幸せにできていたらそれで十分なんじゃないか」と思うようになって。そしたら気持ちがグッとラクになったんです。

僕の場合はそう考えて動いた方が、仕事もプライベートも上手くまわりだしました。自分のペースで、自分の責任でいいものを作る。だから明確に「自分でお店を持とう」と実行できたのだと思います。

そう考え方が切り替わってから花への向き合い方も変わりました。僕は東京での修行を6年半で終え、キツい派遣の仕事でお金を貯めて、2017年5月、広島で「sower flower/plants」をオープンしました。この店は花屋だけど花がない日もあっていいと思うんです。「花屋にはバラがあるのが当たり前」「夏にはヒマワリがなければいけない」みたいな固定観念はなくていい、その時々に綺麗で見たいものがあればいいんです。sowerは“種をまく人”っていう意味だけど、子供とか男性とか、普段あまり花に触れる機会がない世代にも花や植物の面白さを感じてもらえればいいなって、ある意味マイペースに考えてるところがあるんです。

僕にとって花の面白さは、四季を通じて変わるところ。だから季節感のない花はあまり好きじゃないです。今って11月までヒマワリがあったり、12月に市場にチューリップが出てたり。今はどの花も年中あるのが当たり前で、お客さんからも「なんで店にないの?」って言われるけど……その声に負けて仕入れてしまわないよう、ぐっと我慢するようにしています。

自分にとっての将来のビジョンは……それも変化するものじゃないですか? オープン当初と今だってずいぶん変わってますからね。“自分が恥ずかしくないこと”という範疇で、そのときそのときで変わっていくのが普通のような気がするんです。そして、その変化を楽しみたいんです。

好きな色は……ありきたりだけど緑ですね。緑って、いろんな種類があるじゃないですか。新緑の若草色も好きだし、その緑もどんどん変わっていくし。店も緑に囲まれてますけど、だから救われてるというか。仕事でイライラすることがあっても、ここじゃなかったらもっとしんどかっただろうなって思いますからね。

そうですね、大事なのは自然であること、不自然なものは採り入れないこと、自然であれば変わっていくのが当たり前……やっぱり花って美しいんですよ。一本でも十分に美しいんです。そんな花が汚くなるのは汚くなるだけの理由があって、それさえクリアしていれば何をやったって綺麗でいてくれると思うんです。

だから自然に比べれば、花屋なんてたかが知れてると思います。新緑のすがすがしさだったり、菜の花が群生してたり、太田川の河川敷でたくさんのススキが風になびいてたり……そういうものには絶対かなわない。平和公園で夜桜を見るのに比べたら、ここで花を生けることなんて全然小さなことですよ。

根を張ってる自然の営みにはかなわない――うん、いつもそんなことを思ってますね。

取材後記

取材は新型コロナウイルスが街を席巻する直前に行われた。外出自粛の要請を受けて「sower flower/plants」への来店者も減ったというが、そんな状況でも小林さんはまったくめげない。逆に買い手がつかず値が落ちた花を大量に買い付け、これまでお世話になった方に勝手にプレゼントしているという。「それは純粋に感謝の気持ちから。こんな時代に花の仕事ができることには感謝しないといけないし、こういう時期だからこそ花を贈ることで感謝を伝えようと。あと、みんなどうせ家にいるので、突然送っても受け取ってもらえるし(笑)」。しぶとい“雑草魂”の自然体フローリスト、また深く広島の街に根を下ろしていく。

Profile 小林 龍之介 1984年、大阪生まれ。鹿児島、鳥取と各地を転々とした幼少期をすごし、高校卒業後に広島へ。当初は中華料理店、フレンチレストランなど飲食店で働いていたが、22歳の頃、流川にある「森川花園」で花の世界に入る。上京して有名店で6年半ほどすごした後、2017年5月、広島に戻り「sower flower/plants」をオープンさせる。その名の通り、店舗では生花と植木の両方を扱い、さらに毎月店内で参加型レッスンを行うなど(現在は休止中)、広い世代に花の魅力を伝えていく活動を行っている。