廣島スタイロ

Sunshine Blue

moonmarico美容師No. 9

女性から多くの支持を得ている「moon」という美容院がある。 「女の子」「可愛い」という言葉が連想される、ピンク色が印象的な美容院「moon」を経営している美容師のmaricoさん。美容師としての技術はさることながら、注目すべきは、ライフスタイルに根ざした働き方。「休みが余りない」「労働時間が長い」といった印象がある美容業界において、「週休二日」、「夜遅くまで働かない」、「好きな海外旅行には出かける」といった働き方を確立させているmaricoさん。そんな「今」に至るまでの彼女の歩み、そして想いを伺いました。

宮島は、私にとって最も身近に行ける海外

私は海外旅行が大好きで、行った先で新しいモノを見たり、何かをインプットして自分のお店に活かせるようにするために休暇を取るんです。それが今の働き方改革をした私のお店の要因の1つになっています。 私は暇が嫌いで、「意外」と友達からも言われるんですが、ひとりが嫌いなんです(笑)。人が沢山集まっている場所が好きで、色んな人が行き来している場所に行くと、そこからエネルギーを貰い、良い刺激になるんです。「どこか行きたいなぁ」と思った時、広島だと簡単にいける異国の地は宮島なんです。

世界中から沢山の人が訪れる観光スポットで色んな国の人が行き交り、活気もあり、地元である広島の人にも変わらず愛されていて。そんな地元からも愛され、世界中から訪れる場所が身近にあるのって、魅力的じゃないですか。そして、私は海が好きなんですが、宮島から見える風景も、空の青と海の青がとても綺麗で、自分にとって「青」という色は地球が繋がっている事を感じさせてくれる色でもあり、好きな色です。青は私にとっては「広い」というイメージがあるんです。船で宮島に渡る際に、太陽の光が海の青に反射してキラキラ光る様子を眺めていると、海外に行ったような気分にさせてくれる。そんなHAPPYなエネルギーがある宮島は私にとって最も身近に行ける「海外」であり、大好きな場所なんです。

美容師を目指したきっかけは、幼い頃から母の影響で、ヘアアレンジや洋裁が好きだったので、高校卒業後、美容の専門学校に進学しました。東京の美容専門学校に行きたかったのですが、「東京に出るなら就職してから勝手に出なさい。」という親の言葉もあったので、広島の美容専門学校へと入学しました。 学生の時、広島の美容院に髪を切りに行っていたのですが、自分の要望をうまく伝えられず、なかなか想い通りのスタイルにならなくて、常にもどかしさを感じていたんです。

専門学校の時、「東京の美容院を視察する」という研修旅行があり、当時から雑誌などに取り上げられていた、「SHIMA」という美容院に行きました。「可愛いスタイルを作るお店」という印象だったので、髪を切りに行ったのですが、言葉では、ほとんど伝えていないのに、初めて想い通りの髪型にして貰い、「街を自信もって歩ける感覚」を体験し、「こんな美容師になりたい、勤めてみたい。」と思いました。 そして卒業後、上京し、SHIMAに入社。も少し頑張ればスタイリストデビューが叶うという三年目の3月11日に、震災があって。会社のご厚意で、数日、広島に帰らせてもらいました。その際に、いつかは広島に帰りたいという想いが元々あったため、今がタイミングかもしれない、と思い、会社を退社し広島に戻りまし た。「もし地震がなかったら、東京に残っていたのかな」と今でも考える事はあります。

ただ当時、美容師として独立したいという考えもなかったので、地震が起きてなかったとしたら、広島に帰って自分でお店をやっている「今」もなかったのかもしれません。 東京という厳しい世界で育ててもらえ たことはとても感謝していますし、東京での経験が無ければ、今の自分は無いと思って います。

常に目標を持って仕事に望むようにしているのですが、広島に帰って来て最初に立てた目標は、「広島の街を可愛くする」という事だったんです。自分の思う「可愛い」を広く発信するならどうしたらいいんだろう?と考えた時に、パルコで働くアパレルスタッフさん達の髪を私に切らせていただければ、「早く」「広く」自分の思う「可愛い」を発信できるなって思ったんです。 しかし、働き始めは、なかなか思い通りにいかず、「そのスタイルは広島では流行らないよ」とも言われ、とても悔しい想いをしました。でも、今までやってきた事は間違っていないと信じていたので、曲げずにやり続けました。次第に結果がついてきて、当初の目標でもあったパルコのアパレルスタッフさん達が髪を切りに来てくれるようになっていたんです。そして、業績も上がり、在籍して一年半経った頃に、新店舗を任せていただくことになりました。

しかし、美容師として働いていく中で立場も変わり、美容業界の労働時間や、働き方が現代的ではないなと思うようになったんです。その頃に自分の理想のライフスタイルや働き方をしたいと考え、独立しようと決意しました。

今の私のお店は週休二日制で、夜も遅くまで働かず、女性が働き易い職場環境を心がけています。スタッフルームを設け、座ってお昼ご飯が食べられる場所を作るというのが絶対条件で、「人間らしい職場作り」をテーマに店舗を作りました。好きな海外旅行も行けるようになり、昔はじっとしているのが嫌で、暇を埋めるような感覚で海外旅行に行っていたのですが、働き方を変え、余裕を持つことで海外旅行への価値観や休みに対しての考え方も変わったと思うんです。

そのような考え方のきっかけになったのが、独立前に一カ月滞在したロサンゼルスでの体験なんです。一カ月という長い期間滞在した事によって、普段の旅行では感じられない事を気づかせてもらえたんです。それは「もっと自然体でいいんだなって」って事だったんです。日本に居る時は、どこへ行くにも、「髪を巻いたり、メイクをしっかりしないと外に出れない」なんて思いがありましたが、ロサンゼルスで生活している人を見て、もっとラフで自然体で良くて、全部ちゃんとしている事の方が逆に不自然なんじゃないのかな?と思うようになっていたんです。自然体といった「素材を活かす」ということを、美容に落とし込むという考え方も生まれました。そういった体験から、海外旅行は私にとって新しく体験をインプットして、アップデートする場所になったんです。

私の人生のテーマの1つに「happyな人にしかhappyはやって来ない」という考え方があるんですが、色は人をhappyにするモノだと思うんです。今のmoonのお店は20代の女の子の為に作ったお店で、店内をピンクにしているんですが、ピンクで明るい気持ちになれない人なんていないじゃないですか(笑)ただ自分の年齢も30歳を迎えたので、これからは自分のライフスタイルや、自分の年代に合うお客さんへの新しいラインとしてのお店も考えて行こうと思っています。自分が無理する事無く、自然体でいれるように。

目標がないと人生が楽しくないですからね。

取材後記

「moon」という美容室の「女の子」という可愛らしい印象とはまた違い、maricoさん自身はとても芯の強い方という印象を受けました。それは、広島に「可愛い」を発信したいという想いや、女性に優しく、人間らしく在れる職場を作りたいという想い。しっかりとした目標を立て、ひとつひとつ、着実に。そのブレない芯の強さが、彼女の「可愛い」という表現を支えているという事を、お話を伺い感じました。一つのことを追求していると、他の事が見えなくなる事は良くありますが、maricoさんはまず、自分のライフスタイルを真ん中に据えていて、その柔軟な考え方が、新しい価値を生んでいる。そんな循環が「happyな人にしかhappyはやって来ない」という彼女のテーマにピッタリな働き方や職場作り、そしてライフスタイルに繋がっているのだなと思いました。

Profile marico 1987年広島県広島市生まれ。20歳で東京の美容院に就職。23歳で東日本大震災を経験し、地元の広島で働きたいと考え帰省したのち、広島の美容室で働く。休暇を利用し趣味の海外旅行へ行く中で、美容業界の労働時間や、働き方に対し疑問を感じ、自分の理想のライフスタイルや働き方をしたいと考え、28歳で美容室「moon」を開業。美容のトレンドや働き方へのトレンドをいち早く取り入れ、女性ならではの働き方やプライベートな時間も大切にしている。