廣島スタイロ

緑 緑

mon-to.9野村 俊介経営者No. 7

独自の切り口と行動力で、様々な業界を沸かしている一人の男がいる。 野村俊介(39)。その経歴はと言えば、花屋、格闘家、ハンター、とある会社の参謀、飲食店のオーナーでもあり多種多様に展開しています。彼に肩書きを尋ねれば「野村俊介ですかね?」と返ってくる。 一見、無軌道にも思える彼の活動ですが、それらは全て繋がっています。そんな今の彼を作り上げている原風景と色、そして思考を一つずつ紐解いていきました。

混沌としていた並木通り、そのストリートで鍛えられた感性(色)

原風景かぁ…。今の野村俊介が作られた場所は、並木通りもその一つなのかもしれません。

今から20年くらい前。当時の並木通りは、混沌としていて、ヤンキーやチーマー、ローライダー、そして、自分はバイク乗りのバイカー。そういった文化の最盛期でもあり、多様性があった時代で、並木通りには凄い人の数でごった返してたんです。

昼の間バイトをし、夜になると地元のコンビニに集まり、バイクで並木通りへ繰り出すという生活を毎日の様にくり返していて。並木通りは面白いんだけど、当然怖い先輩も沢山いて。そんな色濃いストリートで、遊び、過ごしてゆく中で、社会性だったり、ルールみたいなモノ、これ以上踏み込んだらヤバいな、っていう感覚を身につけていったんです。当時はバリバリの「AIR JAM世代」で、バンドをしていた先輩に仲良くしていただいたり、ファッションも大好きで、服を買い漁っていました。自分の周りはバイクに乗ってるだけって感じの人も結構いたので、今振り返ると、当時から多様性を求めていたと思います。

髪を染める時も、幼い頃から絵を描く時に緑と黄色しか使わなかったという事もあり、身近にあった緑か黄色にしようと。そして周りに緑色で染めている人が居なかったので、緑色に染めてました。本当に天邪鬼で、みんなと一緒にバイクに乗ってる時も自分を客観視し、人と同じ事をする事や同じ空間にいる事が面白くないなって思うようになっていったんです。

弟が高校を卒業後、花屋に就職し、花のレッスンに通い出したんです。当時、自分も弟も実家暮らしだったので、弟がレッスンで作った花を家に持って帰ってきていたのを見て、「なんかオシャレだなぁ」って感じ、「自分も花を習いたい」と打診してみたのですが、弟も自分と一緒で人と同じ事をするのが嫌いな性格だったので、即答で「えっ?嫌よ」って断られましたね(笑)。でも自分はやりたくなったら、すぐやる性格だったので、弟が通っていない他のレッスンに通い始めたんです。先生が凄い人だったんですよ。自分達が先生と同じ花、同じ器を使い、同じ様に挿しても、同じ作品にはならず、先生は自分が挿した花をみて、鼻で笑ってましたね(笑)。

運が良かったと思います。弟が花の勉強を始め、通ったレッスンの先生が凄い先生で、素敵な作品に出会えた。そして、20代の若い時に花を見て、素直にオシャレだなって思えたのも、並木通りで培った多様性だったり、センスじゃないかなって。そのモノの中にあるルールみたいな事を感じ取るセンス。その土台がなかったら、ストリートと対局にあるかのような花の存在に対して、素直にオシャレだなって思えなかったはずです。

そして、26歳の時に花屋を始めました。創るモノには自信があったのですが、最初は仕事がなく、「自分の売りはなんだ?」という事を考えたんです。自分はプロの格闘家という側面もあったので、「プロ格闘家が挿す花屋」って面白いんじゃないかな?って思って。そして、仲良くなった社長さん達に、「プロ格闘家が挿す花屋」とアピールすると面白がってもらえ、仕事の依頼を頂けるようになっていったんです。普通の花屋では出来なかったと思うんです。何か「面白そうだな」と思ってもらえないと仕事は取れない。だから「プロ格闘家が挿す花屋」というフレーズを面白がってもらえたのが大きかったですね。

ある理論の一つに、「自分をレアカード化せよ。1万時間同じジャンルのことをすれば、100分の1の存在になれる。それを掛け合わして10000分の1の存在になったら、これからのAI時代を生き残れる」というのがあって。花屋時代、自分は花と格闘技、それらを掛け合わせる事で自分をレアカード化させてました。その後に、ジビエとの出逢いがあるのですが、「面白い事」ってエンターテイメントなんです。

狩猟って人間の原点で、まずは獲物を探す。見つけたら撃つ。そしてバラす。食べる。これは、エンターテイメントが整い過ぎてるなって思ったんです。面白くて、美味しい。そして、友達の中山さんを誘い、ジビエ肉を販売する「.comm」というお店を始めたんですよね。自分は「やってみたいな」って思う事があったら、すぐにやる性格で。そして、いつも自分の中には優先順位がはっきりとあるんです。単純に1日に24時間しか時間はないので、死ぬまでに出来る事って限られていて。200歳まで生きると思っている自分でさえ、そこは意識してますよ。最近、自分の中の優先順位を考えた時に花屋が下になった。そうなったらスパッと辞めたほうがいいなって思い、花屋は辞めたんです。

今は「mon-to.9」という飲食店も経営しています。広島には日本一の生産量の牡蠣とレモンがあるのに、それらを使った面白い店がない。それなら自分がやろうって思い立ったのがきっかけなんです。料理人でもない自分が、どう「食」を売るか。ただ牡蠣とレモンを売るだけでは面白くないので、本当にお勧め出来る広島の商品を集めたお土産屋さんにしようと思ったのです。お土産屋さんは何処に行っても、定番しか置いてないじゃないですか。だからお土産屋さんもアップデートしたいって想いがありました。

今では「mon-to.9」は生牡蠣とレモンサワーを売るお店ではないのです。お店に来るお客さんは県外と海外の方が7割なのですが、「ここの後に何処に行ったら良いですか?」と良く聞かれます。ですので、半径徒歩5分圏内ですぐお勧め出来るように、普段からお勧め出来るように色んなお店に食べに行くようにしています。

「mon-to.9」は、生牡蠣とレモンサワーを売るお店ではなくて、街の無料案内所だと思ってるのです。「ここに来たら良いお店を次に紹介してもらえるよ」。そういう信用を得れば、結果、人がお店に立ち寄るようになる。生牡蠣とレモンサワーをどう売るか?ではなくて、信用を得る事で、お客さんが知り合いに宣伝してくれる。このお店では「mon-to.9」という信用を売っているんです。

よく人生のターニングポイントは何処ですか?って聞かれるのですが、ずっとターニングポイントの連続だと思っていて。常に選択の連続で、自分の唯一の良い所は選択した事を全部正解だと思える事だと思うんです。例えば自分と人に同じ事が起こったとして、その人が嫌だなって思う事でも自分は良い風に捉えることができる。花屋を辞めた事も、自分は全部正解だったと思ってるんです。そういう風に生きていけたら、無敵ですよね。

取材後記

お話を伺ってみて感じたのは、自分の欲求に対して真っすぐな人だなということ。経歴を見ると、その無軌道さにばかり目を奪われてしまうのだけれど、実際はとてもシンプル。野村さんが今までの人生を歩いてきた中で、その時々に興味を抱き、やってみようと思う欲求と行動力、そして、彼の中での優先順位に正直に従って選択をしてきた結果が、今の野村俊介を創っていて、全ては繋がっていました。インタビューの中でも語られていた「全ての選択を正解だと思える力」が全ての経験に関係性を持たせ、その都度、興味を持った事に全力を注げる力の源となり、嘘が無い分、強い言葉で語れ、まだ知らない業界にも躊躇することなく、その一歩を踏みだし、独自の切り口からその業界を沸かし、人を巻き込んでゆく。その突破力が面白いウネリを生んでいるんだと思いました。これからも野村俊介さんが、どんなことに興味を持ち、その舵をどう切っていくのか、注目していきたいです。

Profile 野村 俊介 広島県広島市生まれ。26歳の時にアレンジ専門の花屋「のむら家」を立ち上げ、「プロ格闘家が挿す花屋」というフレーズで注目を集める。後に知り合いからの誘いにより同行した「狩り」で、狩猟というコトのエンターテインメント性や、ジビエ肉が美味しく、体に良いことに着目し、格闘技仲間の中山さんを誘い、ハンターライセンスを取得。食肉処理場を設立し、「.comm」という自分達で狩ったジビエ肉を販売するお店を開業。他業種とコラボしてのオリジナルソーセージの開発や、「売り方」「手法」の面白さから「食」の業界で注目を集める。そのプロデュース能力や行動力を買われ、広島の老舗「歴清社」の参謀として抜擢。また「T'」というカットソーブランドの販売をサポートするなど、多岐に渡る活動を展開。現在、生産量日本一を誇る広島産の生牡蠣とレモンサワーのお店「mon-to.9」を開店し、既存の飲食店の概念にとらわれない思考で、日々「モノの売り方」を考えている。